2013年3月31日日曜日

6年目の終わり

今日で社会人生活6年目が終わります。
就職したのは22歳のとき。

工学部出身ですが、大学4年のときに配属された研究室の院生を見て、
余分に2年通ったところで日本の大学院のぬるま湯につかっていては
全くと言っていいほど成長しないことが分かり、
サッサと社会に出ようと思って就職しました。

僕の母校では、工学部の大学院進学率は90%を超えており、
大学院に行かずに就職するのは、
上位90%の学力レベルが無かった超落ちこぼれというのが相場だったので、
周りからは結構反対されたし、
教授陣からは推薦で無試験にしてやるから残れと言われたものでした。
(学部時は授業さぼりまくってたけど、成績は上位15%に入っていた)

結局この選択は成功だったと思ってます。
いわゆる総合職系の仕事なので、大学で学んだ内容を使うことはないし、
最初の2年間で超厳しい上司に連続してお世話になったので
随分短期間で鍛えてもらいました。
(当時は辛くて辞めようと思ったことは何度もあるけど)
仕事内容もとても面白かった。
3年目に異動になったときの送別会では、
直属の課長補佐から「とても3年目とは思えない」と言っていただきました。

が、その次の部署は、最初の半年こそエキサイティングだったものの、
その最初のプロジェクトが一段落ついた後は、
大企業病の原発巣で仕事をしているような感じ。
全く組織のアウトプットにつながらない仕事を
優柔不断な上司と常に改悪する方向へ朝令暮改する上司に挟まれつつ、
大勢の利害関係者と調整にならない調整をし続ける。
こんなにストレスが溜まる環境は無いなと思いました。
ちょうど派遣留学が決まったのが不幸中の幸い。
留学準備に意識を傾けることで何とか出国日まで頑張ったような感じです。

UCLA Andersonに来てからは、
2つ目の部署での鬱憤を晴らすべく猛烈に勉強しました。
鬱憤というか、自分の成長が一時的に止まってしまっていたことに強い不安を感じ、
自分の知らないことを兎に角1つでも多く吸収したいという思いが強かったです。
お陰で、この2年間の成長については、
ほとんどの同級生には負けていないと胸を張って言えると思ってます。

振り返ってみると、奇しくも、社会人になってからは2年おきに新しい環境に置かれてます。
今年も帰国すればまた新たな仕事が待っているわけで、
社会人人生最初の8年で4つの環境を経験できることになるのは、
それはそれで良かったかな、と思ってます。
(自分が飽きっぽい性格ということもあり)

今年の夏で29歳になりますが、少なくとも35歳までは
次々に新たな成長カーブに飛び込んでいく人生を送りたいと思ってます。


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2013年3月24日日曜日

LAマラソン

そんなに細かく実況リポートとか書くつもりはないですが、
せっかくなのでサラッと記録に残しておこうと思います。

先週の日曜日にLAマラソンに参加しました。
ドジャースタジアムから始まってハリウッド、ビバリーヒルズを通り
サンタモニカまでの26マイル(42キロ)を走るというもの。

28年間の人生で今回が初めてのフルマラソン。
やっぱりフルマラソンに出るためには相応の練習が必要なんですが、
東京に戻ったら仕事の合間に練習時間を取れるほど暇では無さそうなんで、
この機会を逃したらもう次は無いかもしれないということで思い切って出ました。

マラソン出るんだと話すと、ほぼ100%の確率で
「お前みたいなホワイトモヤシに完走なんか無理無理」(実際はもっとソフト)
てなことを言われたので絶対完走してやると心に誓っていたのでした。
結果は5時間13分で見事完走(最後は歩き)。
4時間台を目指してはいたけれど完走し切ったのでかなり満足です。

ちなみに、事前の練習としては、秋ごろから週2、3回程度走ってました。
最初は3キロくらいでしたが、最後は15キロくらいまで伸ばしました。
マラソン出た後で振り返ると、これでは完全に不十分で、
少なくとも2、3回くらいは25~30キロくらいの練習をすべきだったと思います。

それで出てみた感想ですが、「とにかくキツイ!」の一言に尽きます。
マジでしんどかった。
最初の13~4マイルくらいはとても気持ちよく走れていて、
音楽聴きつつ風景を楽しみながら颯爽と掛けている感じ。
ペースも1マイル9分くらいで、4時間半いけるのでは?と思ってました。

ただ、そこから急激に脚の負担を感じ始めて、16マイルで完全にペースダウン。
呼吸の方は全然大丈夫なんですが、脚が全くついていかない。
おまけにまだ10マイルもあるという事実に愕然として一気につらくなります。
そして21マイルからがさらに地獄。本当に脚が動かない。
痛みに耐えながら超スロージョギングで何とか前進という感じでしょうか。

そして22マイル地点でついに脚をつるという悲劇。
痛さに耐えていると近くにいたおばちゃんが「プレッツェル食べる?」と。
10分ほどおばちゃんのプレッツェルを食べながら休憩。
相当に痛い。ギブアップしようと何度も思いましたが、
ここでギブアップすることはプライドが許さず
残りの距離は根性で歩きとおしました。
翌日から3~4日はまともに歩けず、学校ではかなりの笑われ者。

まあ、かなり大変な経験になってしまいましたが、
参加したこと自体は良かったです。こんなことなかなかできないですから。
富士登山と同じで、人生一度は挑戦してみるといいと思います。
(ちなみに、富士山は2回登頂済み。フルマラソンのがはるかにキツイ)


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2013年3月22日金曜日

冬学期の終わり

今日最後の期末試験があり、冬学期が無事終了しました。
今回はなんかあっさり終わってしまいました。

卒業プロジェクトがあるので
忙しさだけで言えば去年の冬学期と同じくらいだったのですが、
去年は最後5日連続でテストがあったので
それと比べると最終週の追い込み具合が全然違う。
多分これがあっさり感の一番の原因だと思います。

さて、春休みは1週間強しかなく
これが終わるともう後は卒業式まで一直線なので
LAでの最後の休暇を楽しみたいと思います。
といいつつ明日は卒業プロジェクトの遠征で5時半起きだったりする。
がんばろー

ちなみに、先日LAマラソンに出たのですが、
その記録はまた次回にでも。


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2013年3月16日土曜日

Week 10 Done!

昨日で冬学期の授業が全て終わりました。
今期はWeek 10までにファイナル・プロジェクトが終わるものが多かったので、
来週はFinal Weekなものの、残っている課題はプロジェクト1個に試験が1つ。
そしてプロジェクトについては自分のところは既に完成。
期末試験の方も、中間試験とレポートがほぼ満点だったので、
期末もよほどヘマをしない限りBランクの成績はつかないと思われ。
ということでこれまでと違って早くも心に若干の余裕があります(笑)

それにしても着々と帰国の日が迫ってきています。
何と他の派遣生の中には、
卒業式の翌日から出勤しなければいけないところもあるんだとか。
結局どの会社も同じで、「MBA留学=2年間のバケーション」としか捉えていないので、
卒業式が終わったら「これ以上休暇は要らないだろう」という認識らしい。
実情としては仕事と匹敵するくらい忙しい時期もあるんですが。
というわけで、どうやって派遣期間を延ばすかというのは
この時期の派遣留学生共通の悩みとなっています。
だってこっちの退去準備とか日本でのセットアップとかやっぱり1週間はかかるでしょ。
究極の手段は子どもを作って、妻が安定期に入るまで飛行機乗れないというもの。
(冗談ではなく本当に毎年います)

あ、ちなみに、ビジット対応をしていると100%聞かれる質問の1つが
日本に帰ったら転職するんですか?というもの。
今、大部分の企業では派遣後一定期間内に辞めると
留学費用を返還しなければなりませんが、
それでも転職者は後を絶たないんですよね。
詳しくは書けませんが、少し前にも一人相談を受けたことがあります。
まあ、日本の企業が「MBA留学制度=優秀な学生を集めるためのエサ」
という意識を変えない限り、MBA留学から戻った学生が
お役所的な下働きにうんざりして辞めてしまうという悪しき慣行は直らないでしょう。
(総合商社だけはMBA留学制度を上手く使っているかな、という印象ですが)

これはMBA留学した人でないと分からない感覚だと思いますが、
MBA留学後に転職してしまうのは給料に不満があるわけではなく、
「年功序列のため自分の力で勝負できない」、「1つの会社に依存する人生」は
間違っている(少なくともグローバル・スタンダードではない)ということに気付くためです。

これまでに何百も何千も議論されてきたものですが、
このMBAというのは、本当に年功序列制度に馴染まないものです。
要はMBAを取るような人というのは、
「実績のみで判断される経営者・管理者側に行くことを自ら望んでいる人」なわけです。

世界的には、ポジションというものは年功を称えるためにあるものではなく、
組織には専門的な役割が異なる人が必要だからポジションがあるわけです。
事務員というポジションがあるのは事務員としての専門的な役割があるから、
課長というポジションがあるのは課長としての専門的な役割があるから、
社長というポジションがあるのは社長としての専門的な役割があるからです。

ビジネス・スクールに行く人というのは、
課長、社長といったポジションのキャリアパスを選ぼうとしている人、
すなわち、「係長や係員といったキャリアパスを放棄した人」ということです。
そういう人が無理やり係長、係員のポストに戻されると
自分が2年間の間につちかった思いや
グローバル・スタンダードとの乖離に違和感を覚えるわけです(と予想してます)。

まあ、この件に限らずですが、
僕は日本の年功序列制度は本当に悪しき慣行だと思ってます。
高度成長期を当の昔に終えた日本では、
年功序列制度が機能しないことをほぼ全ての人が理解しているのに止められない。
厚労省も年功序列を維持するような政策ばかり出している。
本当に慣行というのは恐ろしいなと思います。

というわけで今日はこんなところです。

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2013年3月3日日曜日

英語力

冬学期はWeek 8まで終了しました。
これから先2週間くらいは期末の山場で正直相当ヤバい状況です。
とは言っても今まで何度も経験した程度のものなので
「しんどいけど、まあ何とかなるよ」という感じではあるんですが。

さて、ここ2週間で2回ほど自分の英語力の無さを痛感した出来事がありました。
1つは学校の宿題で、「お前の英語は洗練されていない」
という理由でかなりの減点をくらったこと。
もう1つはある教授と話していたときに
「申し訳ないがここ(紙)に言ってることを書いてくれるか」と言われたこと。
この2年でかなり英語は上達したんですが、
それでもこういう出来事は未だに結構起こります。
なので実は留学前よりも英語恐怖症になっているんじゃないかという説も。。。

今回言いたかったのは、
別に「こんなの留学生イジメだ」とかそういうことではなく、むしろその逆。
あるインターネット上の記事への反応として、多くの日本人が
「英語はツールに過ぎない。本当に大事なのはちゃんとした日本語を使えること」
と力説していることに対してです。

このおそらく日本人のマジョリティであろう意見に対しては激しく違和感を覚えます。
まさにこれこそ「井の中の蛙」であって、こういう考え方をしている以上、
日本がグローバル競争で生き残ることは無いだろうなと思ってます。

このグローバル化した世の中において英語は既にデファクトの共通語であり、
英語が出来ないイコール世界から相手にされないということです。
「英語はツール」というのは正しいですが、結論は「なので、出来て当たり前」なんです。
所詮大学院の中なので、僕の英語力の不足も宿題の減点程度で済むわけですが、
これが実際のビジネスの世界であれば「面倒だからもういいや」と無視されるわけです。
実際、留学生が英語圏で就職しようと思ったときに一番の障害となるのは語学力。

通訳を使えばいいという日本人は多いのですが、
誰が好き好んで、お金もかかるし同じ時間で情報量が2分の1しか伝わらない人と
何かを一緒にやろうという気がおきるのでしょうか?

大学院のビジネス・ケースでアメリカの企業が日本の企業と一緒に
何かやるという話題が度々あるんですが、かなりの確率で問題点にあがるのが、
ランゲージ・バリアがあるから日本企業との協力を止めるべきではないかというものです。

よく著名人が書いた著書の中で、その人の海外体験が述べられていて
多くの人が「英語が出来れば日本人は鬼に金棒」というようなことを言っているのですが、
これもあまり的を射ていなくて、実際は「英語が出来ない」ことこそが問題なわけです。

「そうは言っても日本語と英語は言語が違い過ぎていて日本人には不利」という声も。
もちろんその通りですが、そんな言い訳誰も聞いてくれません。
[Life is always unfair]
この不利な状況は日本人自身が得意の勤勉さと努力で何とかするしかないでしょう。

この先数年とかそういったスパンで今の状況が大きく変わることは無いと思いますが、
少なくとも自分の子供の英語教育だけは徹底しようと思っている今日この頃。


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